歴史の勉強って覚えることがたくさんあって大変ですよね。
人の名前や年号、それに場所や長い歴史用語も!
でも、どうして過ぎたことを学ばなければならないのでしょう?
歴史を勉強する意味ってあるんでしょうか?
歴史が苦手だったら余計そんな疑問が浮かびますよね。
気持ちわかりますが、しかし、歴史を勉強する意味は、あります!
どうしてかっていうと、
それは私たちは未来について考えなければならないからです。
未来について考えるには「今」を知らなければなりません。
そして「今」は「過去」の延長線上にあるんです。
歴史を知れば現在がわかり、未来を描くことできます。
そう思うとわくわくしてきませんか?
楽しく勉強する方法も紹介します。
ちょっと長くなりますが、ぜひ最後まで読んでくださいね。
歴史を勉強する意味を知りたい!と思っている高校生へ これを知れば歴史は楽しくなる
歴史を勉強する意味、つまり過去のことを学ぶ意味って何でしょうか?
歴史の勉強はやたらと覚えることが多くて、年代も加わると膨大な量になります。
それを考えただけでも、確かに抵抗したくなる気持ちは分かります。
ところで、あなたはこんな疑問を持ったことありませんか?
- どうして日本人なのに英語を勉強しなければならないのだろう?
- どうして学校へ行かなければならないのだろう?
考えたらいろいろな「どうして?」や「なぜ?」が出てくると思います。
それぞれに対する答えについてなんとなくわかっているものもあるでしょう。
しかしそれが本当に正解でしょうか?
- 「どうして日本人なのに英語を勉強しなければならないか?」
それは国際化社会に対応するため、世界中で使われているから。
では「国際化社会」がどうして「英語」なんですか?
日本語やスワヒリ語でないのはどうしてですか?
いつから英語になったんですか?
現在の国社会化社会をリードしているのがアメリカだから、では正確な答えにはなっていません。
そもそも移民の国であるアメリカがどうして英語を話すようになったのでしょう?
それは歴史を勉強すればわかります。
北アメリカ大陸には少数ですがすでに人々が住んでいました。
そう、現在ネイティブアメリカンといわれる人たちですね。
そこへイギリスから移民として多くの人々がやって来て、東海岸のあたりに住み始めます。
イギリスの植民地として13の州が出来上がりました。
彼らは当然英語を話しますよね。
そして時がたち、彼らは本国イギリスから独立を勝ちとります。
英語を話す人々が中心となって国づくりが行われたので当然公用語は英語ということになります。
王様が最初からいない国、基本的人権を尊重する憲法によって守られた自由の国アメリカには、世界中のあちらこちらから移民がやってきました。
アメリカは二度の世界大戦を通じて、二度とも戦勝国となりました。
勝った国も負けた国も、戦争が終わった後はとても疲弊しきっていましたが、そんな中で、戦地とならなかったアメリカはいち早く経済を立て直し、世界経済のトップに立ちます。
世界経済が今どうなっているかを知る重要な目安として「為替相場」というのがあります。
「1ドルは日本円でいくら」ということで、ニュースで見たことありますよね。
「円高ドル安」という言葉のも聞いたことがあるでしょう。
あれとってもわかりづらいです。
「100円はいくら」って示してくれれば分かり易いのに。
でも、仕様がないんです。
世界経済はドル計算で動いている。
ソ連との「冷戦時代」を通じ、アメリカは資本主義世界のトップに立ちました。
今もなおそれは続いています。
国際社会において大きな影響力を持つようになったアメリカ。
日本もまた国際社会で重要な位置を占めています。
国際社会で生きていく現代人には英語は不可欠なものです。
そのため、私たちが英語を学ぶことはとても大事なことなんです。
- 「どうして学校へ行かなければならないか?」
日本では義務教育というのがあります。
小学校の6年間と中学校の3年間は国の法律で決まっています。
ということで、国がそう決めているから学校に行かなければならないのですが、ではなぜ「学校」という所に「行って」勉強しなければならないのでしょう?
対象となる生徒を集めて集団で勉強をした方が効率的だからですね。
さらに集団生活を送ることで、その後の社会生活での複雑な人間関係に対応する術を会得することができます。
たくさんの生徒を前に一人の先生が授業をする。
このパターンは、驚くことに紀元前の古代ギリシアの時代からありました。
さすがに混んだバスや電車で通学はしていませんが、遅刻しないように急いでかけていく生徒の姿が、2000年以上も昔からあったなんて想像するだけで面白くありませんか?
科学技術が発達し、テレビ電話で授業が行われるようになっても、おそらく「学校」のような施設は存在し、ある一定期間の集団生活は行われていくでしょう。
「社会」に出るための準備期間、「社会人」を育成する「場」は必要だからです。
日本では江戸時代「寺子屋」で読み・書き・そろばんを習い、「藩校」で学問を修めました。
しかし近代社会建設を目指す明治政府は、さらなる国家の構成員たる人間を教育する場として「学校」を創設し、制度として「学制」をつくりました。
そして現在の「義務教育」に至ります。
「学校へ何故行かなければいけないのか?」
それは社会人となるための教育を受ける必要があるからですが、これだけの長い道のりが経ていることも知っていると、何かいつも通っている「学校」にも重みを感じませんか?
ただ「現在そう決まっているから」、では本当に「知った」ことにはなりません。
そこに至るまでの「過程」を知ることで物事は深く理解されるようになり、それは確かな「知識」となっていきます。
その「過程」を学ぶのが「歴史」です。
21世紀の現在、科学技術が発達し医療の面では人工の皮膚や人工の臓器なども現実化しつつあります。
この発達は急に起こったわけではありません。
18世紀後半にイギリスで起こった産業革命から、機械化が推し進められ、さまざまな発見や発明を経て「今」に至っています。
しかしその輝かしい人類の発展の一方で、20世紀には人類は二度の世界大戦を引き起こし、地球上の全生物が死滅してしまうような核爆弾を手に入れてしまいました。
第二次世界大戦末、1945年8月6日広島市、9日長崎市にアメリカ軍によって原子爆弾が投下され、尊い多くの人命が犠牲となりました。
1962年の「キューバ危機」では、アメリカのおひざ元キューバに、核のミサイル基地が建設され(アメリカに向けられていました)あわや「核戦争」!という事態にまで至ります。
アメリカ対ソ連、資本主義対社会主義の「冷戦時代」の話です。
人間ってけっこう試行錯誤しながらここまでやってきています。
これからも試行錯誤しながらやっていくとは思いますが、やはり正しい道をできれば無駄なく歩んでいきたい。
取り返しのつかないことにならないために、正しい判断をしなければなりません。
「今」は過去の試行錯誤の積み重ねであること、判断を決して誤ってはならないこと、そのためにも歴史を勉強する意味はあります。
そして今ある状況が分かってくると、何だか一つ一つの意味が分かってきます。
世界の様々な動きが分かってきます。
分かるってとても楽しいことですよね。
時計を分解してみてその仕組みが分かるように、世界の有り様が分かってくると楽しいです(´艸`*)
歴史を学ぶことはとても楽しいことです。
歴史の勉強が苦手、その苦手意識を克服するには?
1600年 関ケ原の戦い
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣
果たしこんなこと覚えて何になるの?と思いますよね。
確かにこの年号と事項を丸暗記する意味なんて、全くありません。
歴史が苦手という人は、覚えるのが嫌なんですよね。
ただ覚えるだけ、それではちっとも面白くありませんし、頭にも残りません。
上に挙げた3つの年号と事項ですが、大事なのはその中身、つまり内容です。
長く続いた戦国時代。織田信長の登場によって一応の終結をみます。
しかし織田信長は明智光秀による本能寺の変で自刃してしまいます。
楽市・楽座など経済緩和政策や、外国との交易を盛んにする政策は良かった。
しかし、比叡山延暦寺の焼き討ちや一向宗門徒を抑えつけたりするのは、かなりやりすぎでしたね。
明智光秀を動かしたのは朝廷内の反信長勢力ではないかという見方もありますが、とにかく信長には敵が多かったということでしょう。
信長の後を継いだのは豊臣秀吉です。
明智光秀を「山崎の合戦」で討伐すると、全国を平定し「五大老五奉行」の政治制度を確立させます。
信長の家来であった時から天才的な作戦で異彩を放っていた秀吉でしたが、晩年になるとその才気はどこへやら。
二度にわたる朝鮮出兵などは愚の骨頂といえるでしょう。
敵も味方も多くの尊い人命が失われ、また多くの被害を与えそして被って、豊臣政権の寿命を短くしただけでした。
ということで、天下分け目の関ケ原、ということになります。
東軍を率いるのは五大老の中でも一番力のあった徳川家康、対する西軍は毛利輝元と石田三成。
結局は西軍が負けて豊臣政権は大打撃を受け、徳川の天下が目前まで見えてきます。
日本人同士が東西に分かれて戦さをしていた1600年。イギリスはインドに東インド会社を設立し、アジアにおける貿易の拠点とします。
イギリスだけではないですよ。
オランダやフランスもインドに乗り込み、さらなる東、東南アジアや中国に進出していきます。
日本としては内乱なんかやっている場合ではないわけですよ。
それを知ってか知らずか、豊臣秀吉亡き後、家康は天下統一を目指して動きます。
「大坂冬の陣」に続いて「大坂夏の陣」で徹底的に豊臣政権を潰してしまいます。
そして二度と戦さのない平和な世の中を築くべく「幕藩体制」のもと「武家諸法度」や「禁中並公家諸法度」、「参勤交代」など堅固な政治システムをつくっていくのです。
ちょっと長かったですが、それぞれの事項のつながりや因果関係が見えてくると面白くなってきませんか?
歴史の勉強はよく「壁塗り」と同じといわれます。
最初はポツポツと「点」だけであった歴史の事項(「関ケ原の戦い」など)が繋がって「線」になり、さらに関係する人名や地名が加わって「面」として広がっていく。
「面」が塗られたら今度は剥げないようにしなければなりませんよね。
そのためには、前もって「面」へと広げていく時に、それぞれの「点」つまり事項の「因果関係」をしっかりと押さえておく必要があります。
この「因果関係」がしっかりと頭に入っていたら、年代や場所を忘れたという少々の「はがれ」も難なく修復できるというわけです。
幸運にも、最近の「歴史」のテストでは年号をひたすら覚えるような一昔前の勉強は要求されません。
肝心なのは事柄が起こった順序です。
A→B→C→Dといった関係を押さえておけば大丈夫!
物語を覚えるような感覚で一つ一つの「話」を頭に入れていくといいでしょう。
ではその「話」をどうやって覚えていくか?
一番の方法は、まず授業の時先生の話をよく聞くことです。
メモを取るくらいはいいですが、できれば何もせずに集中して聞き入ること。
そしてその後でノートをしっかりとりましょう。
聞きながらでは意識が散漫になってしまうのでダメです。
他の勉強も予習、復習は大事ですが、特に歴史の勉強では自分でノートを作ることがとても重要なポイントになります。
歴史は日本史、世界史に限らずとても分量が多いです。
そのためこの頃は対策として、先生手作りのコピーなどが授業では活用されます。
このコピー、とてもよくできていて参考書顔まけですが、そのままたたんで持っていたんではな~ンにもなりません。
自分のノートを作り、切り張りするなどして先生のコピーを活用してください。
そして「自分だけの参考書」をつくること。
ちょっと大変ですけど歴史の勉強は手を動かすことです。
出来上がったノートは自分だけのMY参考書です。
これは市販のどんなものよりも素晴らしいし、何より愛着がわきます。
一生の宝物といってもいいでしょう。
イラストを入れたり写真を貼りつけるとすごくいいものができます。
歴史が楽しくなること請け合いです。
試してみてください。
歴史の勉強が楽しくなる3つの考え方
歴史の勉強が楽しくなるためには、今あることに興味を持つことです。
「今」の状況がどうしてこうなったかは、歴史の中に隠されています。
それを自分の手で探ることでいっそう「今」が理解できてきます。
学校で先生の話を聞くだけではない「面白さ」が沸き上がってきますよ。
そのための3つの方法を紹介します。
人々やその生活に注目!
その当時の人々や彼らの生活に興味を持つといいですね。
歴史の教科書に出てくるような人は特別な人だと考えていませんか?
確かに時代をリードする偉人が多いですが、でも私たちと同じ人間です。
お腹が空いたりのどが渇いたり、怒ったり泣いたり、時には悩んだりもします。
同じ人間がその時代をどのように生きたかを想像してみましょう。
教科書や資料集を見ながら、着ている衣服や髪型について思い描くのもいいです。
例えば平安時代の十二単。
着るのはとても大変だったそうです。何人もの人に手伝ってもらわないと着られませんでした。
でも脱ぐときはスポッ!と、両手を引っ込め下に下がれば、あら不思議!あっという間に脱げてしまいます。後には抜け殻となった着物の重なりがあるだけ。
もう~重たくてたいへん!なんてつぶやきが聞こえてきそうではないですか?
それにあの長い髪!今のように毎日シャンプーなんてできません。
夏なんてきっとすごく痒かったでしょう。
色々想像すると当時の人々の気持ちに近づくことができます。
時空を超えて、うんうんとうなづいたり「いいね!」と言ってあげると楽しいですよ。
場所は地図で確かめよう!
地名が出てきたら、地図で確認してください。
日本であれ外国であれ、最初は単に自分の住んでいるところから遠いとか近いとかの感覚でもいいです。
今は世界に名だたる「花の都パリ」であっても、1700年もさかのぼれば、そこはまだ集落がいくつかあって絶えず周辺からの脅威にさらされる田舎にすぎませんでした
その南には、ローマが広大なローマ帝国を形成し、世界中の豊かさを手中に収めて最新の都市生活を謳歌していたこと考えると、なんと大きな違いでしょう。
今ではパリもローマも大都市ですがほんの少し(地球の歴史からすれば)前には雲泥の差があったのです。
日本は弥生時代の終わり、大きな前方後円墳があちこちに出現するちょっと前です。
エピソードを聞こう!
歴史には多くのエピソードが含まれています。
先生が授業で話してくれる中には面白いエピソードが満載です。
もう、つまらない!なんていって最初から耳をふさいでいたらもったいないですよ。
きっとあなたを引き付けるような話があるはず。
この時だけは静かに集中して先生の話を聞いてください。
ソクラテスという名を聞いたことがあるかと思います。
ギリシアの哲学者で、あのプラトンの先生に当たります。
ちなみに、アリストテレスはプラトンの弟子です。
このソクラテス、ものすごい質問魔で、人に色々質問することで難しい問題の本質を探っていきました。
結構しつこいので、相手の人がとても怒ってしまったことも度々あったそうです。
ソクラテスの奥さんはクサンティッペといい、悪妻であったことで有名。
人前でソクラテスを叩いたこともあり、周りの人が、よくあんながみがみ屋のひどい奥さんに我慢できますね、と尋ねたことがありました。
するとソクラテスは、いや、井戸の傍に住んでいると思えば何でもないよ、と応えたそうです。
つまり、奥さんのがみがみを井戸のキーキー鳴る騒音にたとえたわけですね。
大哲学者も色々大変だったんだなあと思うと、ちょっと楽しくなってきませんか?
フランス、ブルボン朝で絶対的な権力をもった「太陽王」ルイ14世は、とても口が臭かったそうです。
当時のフランスでは、病気の原因は歯に感染すると考えられ、健康な歯であっても抜いてしまうことが推奨されました。
麻酔などない時代、ものすごい痛みを伴うため一般には広がりませんでしたが、そこは王様、しっかりと抜き取られて、ルイ14世には一本の歯もなかったといいます。
上の歯を抜いた時に上あごの、鼻の横にある空洞と通じてしまいました。
そこに食べたものが詰まり、相当な悪臭が口や鼻から放たれていたとか。
また、歯がないので食べたものを咀嚼することができません。
そのため消化不良を起こさないよう、王様は常に下剤を飲んでいました。
下剤ですから、来るものが来ますよね。
一日に何度ももよおしてしまい、時には間に合わない場合もあったそうです。
当時のフランスはベルサイユ宮殿であってもトイレなどはありません。
すべて「おまる」で用を足していました。
香水が流行し、優雅なハンカチで鼻を抑える仕草は、強烈な悪臭から正に身を守るためのものだったということです。
現在、たくさんの観光客がため息まじりに眺める壮麗、豪華なベルサイユ宮殿も、当時はものすごく臭かったんですね。
面白い話、怖い話、はっと驚くような話、歴史には色々なエピソードが詰まっています。
ぜひ、自分でも見つけてみて下さい。
歴史を勉強することがさらに楽しくなってくると思います。
さいごに
知るということは情報がひとつ増えるだけではありません。
現在のものの見方が変わり、考え方が変わっていきます。
それは私たちがこれから考え判断する際の重要な血や肉や筋肉となります。
21世紀、22世紀の未来が明るいものにしていくためには、現在がどういうものであるかを知る必要があります。
そして現在を正確に知るためには、どうしてそうなったのかを正確に知らなければなりません。
歴史を学ぶことはとても重要なことだと思いませんか?(´▽`*)
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