つい先日「仁徳天皇陵古墳」を含む大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録されるというニュースが舞い込んできました。このニュースを聞いた多くの皆さんは喜ばしいことだと思ったことでしょう。
と同時に「『仁徳天皇陵古墳』って何だっけ?」と疑問に感じられた方も多いのではないでしょうか。そこで今回は「仁徳天皇陵古墳」にまつわる簡単な基礎知識を紹介していきたいと思います。
「仁徳天皇陵古墳」っていったい何?小学生でも分かる「仁徳天皇陵古墳」について
皆さんは「仁徳天皇陵古墳」(にんとくてんのうりょうこふん)をご存知ですか?どこか聞き覚えがある名前で、小学校の社会の授業で学んだような覚えがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし今となってはその記憶も曖昧で、はっきりしなくなってきてしまいましたよね。それではまず初めに「仁徳天皇陵古墳」の基礎知識について紹介していきたいと思います。
「仁徳天皇陵古墳」とは?
「仁徳天皇陵古墳」は日本の古墳では最大の古墳で、1500年以上前の5世紀に造られた古墳だそうです。そもそも古墳とは現在のお墓にあたるもので、特に偉い人のお墓だったそうです。
「仁徳天皇陵古墳」の場所
大阪府堺市堺区大仙町にあり、JR阪和線百舌鳥駅からは西へ徒歩約10分。または南海バス田園線の堺市博物館前から北へ徒歩約2分の所にあります。仁徳天皇陵古墳は自体は住宅地の中にあり、地元の人の間では観光地という印象はあまりないそうです。
「仁徳天皇陵古墳」は一体誰のお墓なのか?
「天皇陵」とは簡単に言うと“天皇のお墓”です。なので「仁徳天皇陵古墳」ならば“仁徳天皇のお墓”になりますね。しかし実際の所「仁徳天皇」のお墓である確証は未だ無いとのことです。
ただ一概には言えませんが、古墳の大きさは権力の大きさの現れであったとも言われています。そのため「仁徳天皇陵古墳」の大きさから考えると、とても偉い人のお墓であることは推測出来ますね。
「仁徳天皇陵古墳」という名前は間違い?「大仙古墳」とどちらが正しいの?!
さてひと昔前の世代の人は小学校の授業で「日本の最大の古墳で、形状は前方後円墳である=『仁徳天皇陵古墳』」と習ってきましたよね。
しかし近ごろのニュースや小学生の社会の教科書を覗いてみると、「仁徳天皇陵古墳」は大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)と紹介されているのを皆さんはお気付きでしょうか。そこで「仁徳天皇陵古墳」と「大仙古墳」のどちらが正しいのかについて調べてみました。
学術的には「大仙古墳」
『日本書紀』と言われる日本で一番古い歴史書によると、仁徳天皇は4世紀頃の313年から399年の間に天皇として権力を持っていたとされています。しかし最近の研究にで「仁徳天皇陵古墳」自体は、5世紀頃(401年から500年)に造られたものと分かってきました。
また仁徳天皇のお墓であるという学術的根拠がないため、その他の古墳と同様に地名(古墳の所在地;大阪府堺市堺区大仙町)からとって「大仙古墳」と表記することが増えてきたそうです。
「仁徳天皇陵古墳」でも間違いではない?
確かに学術的には「大仙古墳」であり、TVのニュースでも「大仙古墳」として取り上げられることも多くなりました。しかし実際に古墳がある堺市では現在も「仁徳天皇陵古墳」という名前を使用しています。
理由は「仁徳天皇のお墓と考えられているから」だそうです。つまり、本当のところ良く分からないけれども、仁徳天皇のお墓だったかもしれない古墳ならば「仁徳天皇陵古墳」という名前を使っていこうというのが堺市の考えのようです。
さいごに
「仁徳天皇陵古墳」にまつわる簡単な基礎知識を紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。
もし周りの人で「仁徳天皇陵古墳」が何であるのか良く分からないという人を見かけたたら、こそっと教えてあげてください(*^^)v
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