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黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』優しい挿絵はいわさきちひろ

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その他・雑学
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女優・タレントで有名な黒柳徹子さんの本「窓ぎわのトットちゃん」

一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?

1981年に講談社から出版され、第5回路傍の石文学賞受賞作品です。

黒柳徹子さんの自伝的物語。

日本国内では単行本・文庫本を合わせて、累計800万部を発行し、

日本国内において「戦後最大のベストセラー」と称されていますが

表紙絵及び挿絵は、一貫して「いわさきちひろ」さんが描かれています。

 

いわさきちひろさんは、どんな人?

本名:松本知弘(まつもと ちひろ)旧姓:岩崎

誕生:1918年12月15日生まれ

出身:福井県武生市(現在の越前市)

死没:1974年8月8日(満55歳)

職業:画家・絵本作家

「子供の幸せと平和」をテーマとした作品が多い。

初期の作品には「岩崎ちひろ」「岩崎千尋」「イワサキチヒロ」名で

発表されたものもあります。

ちひろさんは、幼いころから絵をかくのが得意だったといいます。

14歳の時に、母・文江に絵の才能を認められたちひろさんは、

岡田三郎助の門をたたきます。ちひろさんは、そこでデッサンや油絵を学び

朱葉会の展覧会で入賞を果たします。学校を卒業したのち、岡田の教えていた

美術学学校への進学を望んだちひろさんですが、両親の反対にあい第六高女補習科に

進学。18歳になるとコロンビア洋裁学院に進学し、その一方で小田周洋に師事して

藤原行成流の書を習い始めます。ここでも、自身の才能を発揮し、小田の代理として

教えることもあったといいます。

 

その後20歳で、親の勧めで結婚。夫の勤務地である満州・大連に渡も、夫の自殺

により帰国。空襲で家を焼かれたり、疎開先の母の実家、長野で終戦を迎えます。

27歳の時、戦前、戦中期から一貫して戦争反対を貫いてきた日本共産党の演説に

深く感銘し、勉強会に参加したのち入党。そこで知り合った青年松本善明23歳と

31歳の時に結婚します。

ちょっとした歳の差婚ですね。

ちひろさんは、「子どもの幸せと平和」を願い、原爆やベトナム戦争の中で傷つき亡くなった

子どもたちに心を寄せていたそうです。戦争を題材にした絵本も出版されています。

ベトナム戦争の中で子どもたちを描いた1973年の『戦火のなかの子どもたち』が

ちひろさんの最後の絵本となりました。

 

ちひろさんの絵は、子どもたちへの愛情がにじみ出ている絵だと思います。

ちひろさん没後に、挿絵に起用された「窓ぎわのトットちゃん」はじめ

様々なところで目にする絵には、子どもたちに向けた暖かなまなざしを

感じることができます。

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ちひろさんの絵は

「ちひろ美術館・東京」

〒177-0042 東京都練馬区下石神井4-7-2
TEL:03-3995-0612

「安曇野ちひろ美術館」

〒399-8501 長野県北安曇郡松川村西原3358-24(安曇野ちひろ公園内)
TEL:0261-62-0772

こちらで鑑賞可能です。

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